中学時代、オタクグループの子達が心底羨ましかった

私は体育会系出身ですが、いわゆる「隠れオタク」として生きてきました。リアルの知人・友人で私がオタク趣味にいそしんでいることを知っている人はSSRです。全体の1割にも満たない。

部活動時代に出会った仲間や先輩、後輩たちの数は軽く50人は超えていますが、誰一人として私がオタクで絵を描く人間だということを知りません。

そんな隠れオタクの中学時代がどういうものだったのか、1983年生まれの私の経験談に興味がある方はどうぞ。noteのプロフィールにいちおう「元体育会系の現役オタク」ってあるから、それの証明書がわりのお話です。



いま現役の中学生で、隠れオタクで孤独を感じている君は、この記事から自分はどうありたいのかよく考えてみてほしい。

私はリアルで恥ずかしさや劣等感を抱えつつ、オタク魂をガマンしながら生きてきたけど、もう少し自己開示してみても良かったんじゃないかと思っています。

わたしみたいにならないでね。


0、私の中学校は体育会系がヒエラルキーのトップだった


私の中学校は、その地域ではかなり部活動が盛んで、学年の7~8割は体育会系に所属していました。ここでいう体育会系とは吹奏楽部も含まれます(厳しい指導と大会入賞経験が多かったので)。

入学してから驚いたのは、ほとんどの部がなにかしら大会で優勝したり、最低でも3位は当たり前みたいなレベルだったことです。どこの部も厳しくて、活動日数が週6(朝練付き)とかがザラにありました。

私が所属していたバスケットボール部は、私の代と後輩の代で地区大会優勝を経験しました。最低成績はその一つ下の準優勝。都大会は一回戦負けでしたし、全国区視点で見たら結果としてはかなりこじんまりしていたと思います。

昔はスクールカーストなんて言うワードはなかったけど、あえてこれを使って当時の自分の立ち位置をたとえるなら、「スクールカーストのトップ」にいたことは間違いありません。というかトップ層と呼ばれる体育会系が7~8割いたから実質、三年生になるまでは下の方だったともいえる(体育会系お決まりの年功序列制)。

はた目には順風満帆に見えていたかもしれないけど、私はこじらせていました。自分の中のオタク魂を。


1、中1の時、オタクグループの子と仲良くなりたかった

中1の一学期、まだ女子のグループやら友達作りやら形成する段階。私の隣のクラスでにぎやかな固まりができていたので、その中に顔見知りの子を見つけて何をしているのか聞きました。

固まりの中心にいた子が自分で描いたアニメや漫画のイラストをみんなに見せていて、「すごいね」「上手だね」「このキャラ知ってるよ、〇〇でしょ」とかいろいろな感想が飛び交っていました。

私も混ざってオタクグループの子たちの絵を褒めたり、一生懸命仲良くなりたくていろいろ話しかけたりしましたが、どうも距離の詰め方に問題があったみたいで、引かれました。グループ内の一人の子からはあからさまにイヤな顔をされました。

結局、一学期が終わる頃にはその子たちは特定の仲良しだけでオタクグループを結成し、私は体育会系(陽キャ)畑で過ごすことに。

今思えばあのとき感じた軽い拒絶感は、彼女たちなりに拵えたグループ内のデリケートな世界を守ろうとしていたのだろうな、と感じます。

実際、運動部の目立つひとたちに目を付けられたら声のデカさからいろいろ厄介なことになりかねないから、さっさと遠ざけておこうという彼女たちの判断は正しかった。

ヒエラルキーのトップにいても、幸福度が高いかというとそうでもない、と今なら言い切れる。


2、中2の時、オタクの子が描いた遠足のしおりの表紙を見てストレスMAX

リアルで好きなものを前面に出せる人たちが心底羨ましいと感じたのはこの時です。

中学二年生のときに、学年で遠足に行くことになったので、しおりが各クラスに配られました。そのとき、私に衝撃が走った。

遠足のしおりの表紙に燦然と輝く某ゲームのキャラクターの絵。オタクグループの画力が高い子が描いたものだったので、もちろん上手い。けど、遠足の行先となんら関係ない。絵の手法がいわゆる学園パロってやつでした。

おそらく先生から自由に描いていいと言われてそうしたんだろうけど、心境としてはそのイラストが本当に気に食わなかった。私はそのゲームがもともと好きで、昔からのファンだったから(古参ってやつです)。

廊下などですれ違うたびにそのゲームの魅力を楽し気に話している彼女たちを見かけては「私だって…」とか思ってましたね。

とはいえ、「おのれニワカめ、このナンバリングくらいしか知らないミーハーのくせに調子にのるなよ」とせいぜい心の中でつぶやく程度。オタク魂はどんどんこじれていく。

このへんの話は長くなるので別記事にするとして、とにかく自分が我慢していることを他人がのびのびとやっているのはなんだか妬ましい羨ましい

自分も友達や仲間に趣味のことを積極的に話せたらどんなによかったか、と。もっと自分らしく振る舞えたら満たされたのかな、ということを考えれば考えるほど憂鬱になりました。

体育会系と言えど、私の元の性格は内気で引っ込み思案。スポーツ以外の場面でも明るくオープンにできるかというと、そうでもないのです。特に私の場合は。

当時、エヴァが流行っていたのもあって、CMのミサトさんの「14歳のとき、あなたは何をしていましたか?」という問いかけが私の脳内に浮かぶ。

私はこの問いに「他人の描いたものと、他人の振る舞いに勝手に嫉妬して憂鬱になって、誰にも言えないオタク魂をジャポニカ学習帳の”自由帳”にぶつけていました」と答えるでしょう。超暗いね。泣くわ。cryだけに。

バスケもかなり辛かった思い出はあるけど、周囲の空気を読みつつ自分らしさを封じ込めるのはもっと辛かった。

家に帰ってから、好きな絵や漫画をめいっぱい描いて、ゲームもいっぱいやって、ひたすら憂さ晴らしをしていたけど、ひたすら孤独でした。

3、オタクグループの子達は声のデカイ連中にも負けていなかった、一方私は体育会的威圧感に屈していた


ところでひとくちに体育会系といっても、学校別に雰囲気や特徴が異なると思います。

うちの中学校、とくに私の学年はオタク活動をする人に対してかなりハードな環境でした。

どういう点がハードかというと、運動部でもひときわうるさくて目立つ連中がオタク趣味を楽しんでいる人を見つけては、声をデカくしてからかったり、冷やかしたりしていたからです。

「え、それイジメじゃん」と思うでしょう。

ところがオタクグループの子たちもけっこう負けん気が強くてですね。

野球部やらサッカー部やらの、中身がお子様な男子からちょっかいをかけられても、うまいこと交わしたりやり合ったりして、退けるくらいのことはやってのけていたのです。たくましいぜ。

遠足のしおりで自分の趣味を全開にするくらいですし、ちょっとやそっとの注目や冷やかし程度じゃ動じなかったってことですね。カバンに自分で作ったラミネートカードもぶら下げていたし、かなりオープンなオタクだった。

私は「声のデカい連中と自分のオタク活動を守るためにガチでやりあう」のがイヤだなと思って隠していたところもありました。

ただでさえ水飲み場で連中とかち合ったときに、「女バス、おめーら汗くせーんだよ」とかふだんから言ってくる野球部の男子とかいましたからね。うちの部員も私も「おめーらに言われたくねーよ」って返してましたけど。

それに、「オタク活動をしていること、オタク趣味をもっていること」を私の属していた部のことを考えると、公表するのはリスキーだった。体育会系の拡散力をナメてはいけない。すぐに広まって、判断材料に使われる。

もし顧問の先生の耳にでも届いたら、練習中ミスしたときに「オタクなんかやってるからミスするんだよ、お前やる気あんのかよ、やめちまえ」ぐらいの罵倒がくることが想像できる。下手すりゃ拳が飛んでくる可能性も。

これが本当に怖かった。

怒鳴られるのは日常茶飯事だったけど、「自分というものをかたちづくっている核のようなものを拒絶されたらどうしよう」という恐怖がいつもつきまとっていた。オタク魂がすでに核の一部だったから。

こういうところにいたんです。というか、私の中学校ではこれが当たり前だった。今だったら考えられないでしょうね。

私の「隠れオタクとして隠しておきたい気持ち」
が多少なりとも伝わってくれると助かります。

4、どん底ど真ん中にいたからオタクがまぶしく見えたのかもしれない

つまり私の中学校では、けっこう荒々しくてエネルギーを持て余しているような人たちが先生にも生徒にも多かった。

生徒同士でいえば、どこに行っても声のデカいやつが勝つわけです。ネコのケンカしかり、うちの学校の陰キャ陽キャの小競り合いしかり。とにかく自分のテリトリーにずかずか入り込んでくるやつに対しては、堂々と言い返したり、拒否する権利があるとわかっていた。

オタクグループの子たちは3~4人の女子で固まっていたけど、それがかえって結束力を強めていたんだろうなと思います。一人一人の力は弱くても、助け合える仲間がいるのといないのとでは大違い。

彼女たちは学年の中でも目立つオタクグループでしたが、私の目には幸福度ヒエラルキーでいったらトップ層のように映りました。

スクールカーストって目に見える対人関係しか示されないけど、人の内面を可視化したら実は上位と下位がひっくり返っていた…ということがありえない話とは言い切れない。

オタクグループの子たちが自分たちで描いたイラストなどを、同級生から褒められたり注目されている様子や、みんなが手に取るであろう遠足のしおりの表紙で趣味を全開にできるメンタルがうらやましかったのは確かです。

彼女たちはエリートだった。

私には、ことオタク活動に関しては強靭なメンタルも素晴らしいイラストを描いて披露する能力もなかったので、リアルでの隠れオタクは必然の運命だったといえる。

あのころ、オタクグループの子たちが推しを追いかけている間、私はせっせと汗を流しながらボールを追いかけていた。

いじめ、パワハラ、暴言、性的いやがらせ、内輪同士のもめごと、ケガ、たった三年間の部活動でいろいろなトラブルがあったけど、こういうどん底ど真ん中にいるときに彼女たちがまぶしく見えていたのは仕方がなかったのだろうと、いまさらながら結論付けています。

もしかしたら、向こうからすれば大会で結果を残すことの方が輝かしく見えていたのかもしれません。

私の一方的なものの見方であることは重々承知しています。

ひとそれぞれ、痛みや悲しみを抱えながら生きているわけですから。

それでも、体育会系にいても、世間的にはスクールカーストのトップにいたんでしょと評されても、自分の「好き」を貫ける人にはかなわないね。

5、自分の中学校時代を振り返って

嫉妬エピソードはたくさんあるけど(あるんかい)、自分のアイデンティティが揺さぶられるような体験はめったにないと思います。

私の場合はそれが中学2年の時に起きたわけです。当時の遠足のしおりは今でも手元に残っています。中はラクガキまみれになってしまったけどね。

オタクグループの人たちってなんだか輝いて見えたりする時ってあるじゃないですか。やっぱり好きなことに熱中している人って、前向きなエネルギーが放出されるのか、惹きつけられるものがある。

私の学年にいた、しょーもないことでいちいち騒ぐ野球部やサッカー部の男子たちだって、本当はオタクグループの子たちが相当気になっていたのだろうなと。恋心とかじゃなくて(オイ)、彼女たちの作品に対して興味がありそうだった。サッカー部の子でポケモンの絵を描く子もいたし。

それに、彼女たちが目立つ存在になれたのは、学年全体の7~8割が体育会系だったことを考えると自然な成りゆきだったのです。

オタク属性を持つ子達がSSRだったわけだね。体育会系はそこらじゅうにいたから…Normalだな。わたしもNさ。

でも、もしかしたら私のように隠れオタクの体育会系の子がいたかもしれない。もう確認する術はないけど、そんな気がする。

5、まとめ

結論、「リアルでも好きなことを堂々と貫ける人は格好いい」。

隠れオタクの私がその後どうなったかというと、リアルでは慎重に厳選した友達にだけ自分の趣味を知らせて、ネットではのびのびとオタク活動をすることになりました。

私のnoteがオタク的な記事にまみれているのは、10代の頃にガマンしていた反動があるのかもしれません。

今、学校などで絵や漫画をリアルの友達に見せたり、見せ合ったりして楽しく過ごしている人は、充実した学生ライフを送ってください。

陰キャからすれば陽キャは鼻つまみものかもしれないけれど、なかには羨ましがっている人もいるかもしれません。

目に映るものだけが全てではないし、少なくともこれからの時代は「自分らしく生きる」ことを大事にする流れがやってきます。

私みたいにリアルで好きなものをガマンすると、noteなり個人サイトなりブログなりを作って、人の役に立つんだか立たないんだかよくわからないものを大量に解放するハメになります。

ありがたいことに、少しづつ人の役に立てているという実感を得ることができていますが、さらに成長するためにはこうして過去の自分と向き合う機会がまだまだ必要だなと思っています。

私としてはこれを読んでいる自分と同じような隠れオタクの人に、できれば本当の自分をさらけ出せる友達をつくってほしいと、のびやかに生きられる環境を手に入れてほしいと、noteの片隅から願わずにはいられないのです。



ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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今日の見出しboy。子供のときはよく「泣きそうな顔しないで」って言われてました。いや、こういうカオの作りだから。

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