SNSは「優しいひと」から消えていく

「ある日、好きだったユーザーさんのアカウントがとつぜん消えていた」
炎上もやらかしもなく、おだやかで、優しかったあの人はなぜ去ったのだろう。

時折あたまのなかで答えの見つからない問いがうかぶことがあります。
SNSは「優しいひと」からいなくなっていく現象もそのうちのひとつ。

今回は「優しいひと」に向けて、「自分の内にあるどす黒いもの」を分割したり、消化する方法を見つけるお手伝いができたらいいなと思います。





現代のSNSのような人の交流や作品の評価、ユーザーの影響力などが可視化されやすいところで活動していると、良いところもあれば悪いところも出てきます。

優しいひとが消えていくのはこの「悪いところ」に直面したときに、必要以上に自分をおさえつけすぎてしまうことが原因かもしれません。

クリエイターが利用するサイトやSNSって、今やどこに行ってもその人の資質や作品を試すような仕組みがそこかしこにあります。
これは、自分の実力を知っていただける機会がたくさんある、ということでもあります。
なにかしらの夢や目標がある人にとっては、力をつけやすい、発信しやすい環境なのです。

その反面、夢や目標よりも同じ趣味や好きなもので繋がってたのしく創作したい人もいます。
交流をむすばなくとも、「私の好きなものはコレ」という気持ちを形にして誰かに届けたい、共有できたらうれしい、というスタンスの人もいるかもしれません。

好むと好まざるとにかかわらず、上にあげたようにいろんなタイプのクリエイターが混ざらないといけないのが昨今のSNSです。

人がもっとも多いところのほうが夢を叶えるにしろ、趣味仲間を見つけるにしろ、便利といえば便利なのです。


SNSを使っている優しいひとが立ち去りやすいのは、以下のようなことがあげられると思います。


作品の評価が低い。

がんばって作品をつくっても感想がこない。

自分以外の「だれか」と「自分のあこがれのひと」が楽しそうに交流している場面に出くわす。

界隈から描(書)き手としてみとめられていない。

身におぼえのない嫌がらせをうける。

自分のアイディアを勝手に使われる。


「自分のベストを尽くしてもどうにもならない状況」がSNSではほんとうに多いです。

優しいひとは「自分の中のどす黒いもの、溜まりに溜まった毒をだれにもぶつけたくない」という心をもっています。

迷惑をかけたくない、心配させたくない、マイナスな感情を抱えていることを悟られたくないと本気で思っています。
それゆえに誰にも告げず、ひっそりと去っていきます。

ある日とつぜん、飼い主のもとから消えてしまう猫のように。

逆にただのかまってちゃんはひたすら心情を吐き出して周りの人たちを心配させます。
消えてもすぐ復活します。
残機がかるく65535機はあるんですね、彼(女)らは。
ある意味、究極の甘え上手。

私は優しいひとに「ものごとを少しだけ違う角度から見る」「自己中ではなく、自分軸で生きる」ということを知ってほしいと思っています。

たとえば上であげたSNSで活動していると目につく「悪いところ」。
これも見方を変えてみます。

作品の評価が低い。
出したタイミングが早すぎたのかもしれない。私的には過去イチよくできた。

がんばって作品をつくっても感想がこない。
自分がROMだったらどういう感想を送るだろうか。

自分以外の「だれか」と「自分のあこがれのひと」が楽しそうに交流している場面に出くわす。
文字だけのやりとりだけじゃ、ヒトの心の中まではわからない。
脳が二人の文章を勝手に「たのしそうにしている」と補完しているだけかも。

界隈から描(書)き手としてみとめられていない。
みんな顕微鏡をのぞいているんだろうなぁ。

身におぼえのない嫌がらせをうける。
相手の脳内フィルターがバグを起こしているかただの嫉妬。

自分のアイディアを勝手に使われる。
アイディアマンは発想の豊かさを分けあたえなくてはならない。なぜなら相手は持たざる者だから(でも、しれっと持っていかれるとムカつくのはわかる)。

これは私の持論ですが、アイディアは生きているかぎり枯渇しません。
アイディアの源泉の正体はヒトの生命力だと考えているので。
まあ、とくに根拠はないんだけど、こういうふうに考えるだけで人間として生きているだけでお得な部分があるんじゃないかなと思えるわけです。

SNSでわけもわからず楽しくなったり傷ついたりするあなたの辛さは、私がどれだけ想像力を駆使してもいまからでは追いつくことは不可能です。
ですが、遠くからでも伝えたいことをひとつだけ。

もうすこし甘え上手、なんなら怠け上手になってみませんか。

「その場所」から去ることを決意したのなら無理に引きとめたりはしません。

覚えていてほしいのは、たくさんの傷や悲しみは、いつかあなたの財産になるということ。

もしまた創作の種がまきたくなったら、いつでも戻ってきてもいいのです。

何かをつくるのって、楽しいもんね。

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本日の見出し画像。



※追記 20210526
いま現在SNSで頑張っているひとは「優しいひと」じゃないのか?という疑問をお持ちになられた方へ(先にコメント欄を参照してください)。

私はSNSに残っている人の中には、優しいひとももちろんたくさんいると思います。そういった方々のおかげで今の私の活動があります。

今回の記事ではあくまで私の経験にもとづいた私なりのエールであり、「SNSを去る人、残る人、どっちが優しいひとでどっちが優しくないひとか」の論を展開する気はさらさらないのです。

それに、あくまで優しいひと「から」去っていくのであって、そのあとに続く人だっているわけです。その人は賢いひとかもしれないし、真面目なひとかもしれない。正解はひとつとはかぎりません。

私は同じ絵描きの人で、評価に悩んだりイジメを受けたり、あるいは嫉妬に苦しんだり、SNSでボロボロになっている人をたくさん見てきました。

現役でSNSを使うひとりの絵描きとして、お節介だとはわかっているけれど、なにか手助けをしたい気持ちが先走ってしまったかもしれません。そのせいで文章に粗が目立つかと思います。

不満に思う人もいるかもしれませんが、いまの私にはこれが限界なのです。

いちばんフックになったであろう「〇〇なひと」という表現は、今後の記事執筆の課題とさせていただきます。タイトルはひとまず、このままにしておきます。

読み返してみると絵描き視点と個人的な主観がかなり濃いので、あらぬ誤解を与えてしまってはもとも子もないと考えて追記を加えました。

この記事に対する今後のコメントの返信は控えさせていただきます。



ここまでお読みいただき、ありがとうございました。