佐藤愛子さんの「九十才。何がめでたい」を読みました

ベストセラーにもなった佐藤愛子さんの「九十才。何がめでたい」を読みました。

結論から言うと、「読後にこれほどぐったりと疲れる本は初めてだった」という一言に尽きます。

以下、読書感想文ですが、かなり批判的な内容になっているので読まれる方(特に著者のファンの方)はそれなりに心のケガに気をつけてくださると助かります。


作者のパワーが良くも悪くも強すぎる

歳をとってもパワーが有り余っている大作家は、一般人や若い人たちを使って自分の正論と説教を披露するダシにしないでください。

そのエネルギー、今だったらYouTubeでゲーム実況あたりで発散されては如何でしょうか。
喋ったり編集したりすると脳が活性化されるし、お年寄りがやるとまわりも珍しがるでしょう。
いろんな人と交流できるし新しく何かを学べるし、自分のフィジカルと相談して適度にやるぶんには案外マイナス要素は少な目なのでは。

まあ、なんだってこのようなことを言うのかといいますと、このエッセイってインターネット内の匿名掲示板であーだこーだ言っている素人とそれほど変わらない意見もあるんだもの。

この本、「90歳のマジギレパワーを刮目せよ」というタイトルでも違和感ないと思います。

エッセイの中で一般人の悩み事をネタに自分なりのアンサーをぶつけたりもしていますが、具体的な解決策や身になる知恵はほとんど見当たりません。

「マジギレ」を面白おかしく笑いやユーモアで和ませてくれる場面もあまりないです。
とにかく、読んでいるこちらが全身筋肉痛になるかと思うくらい全力で真剣に怒っています。

お年を召した大作家の小言や説教をありがたいと思うかどうかは人それぞれですが、私は佐藤先生のは勘弁願いたい。

佐藤先生はあきらかに自分が悪くても他人のせいにすることで自己正当化を図る術に長けています。

自罰的な傾向が強い人間は読む際に、「疲れる、めげる、心がやつれる」の無双三段が飛んでくることを覚悟してください。

エッセイを読むうえで自分が「作者のキャラクターと合うかどうか」って結構重要だなと改めて実感しました。

オチがなくても面白いエッセイはたくさんあるけど、「キレっぱなし、言いっ放し、たまに一般人に追い打ちをかける」で締めくくる話が多いから読み終わるころにはゲンナリしますよ。

Twitterの愚痴アカウントをエッセイという体に整えたらこうなるのかなと思ったほど。

先生自身の人生をもとにしたエピソード(誕生日が二つある話とか飼い犬の話とか)はまだ興味深く読めるのですが、問題は「本人の意識が世間や他人へ向けられたエピソード」の場合。

特に、新聞のお悩み相談室に寄せられた相談へ(勝手に)回答する話は読んでいて「それはちょっと言いすぎじゃないかな~」と相談者に同情することも。

それでも新しい視点や切り口から解決策を導きだしてくれたらまだマシなのですが、この方のアンサーはそんな生易しいものじゃないです。

ダメ出しと説教ばかりです。
他人に無責任にああだこうだ文句ばかりつけている様を見せつけられたら、当人じゃなくても嫌な気分になります。

「おばあちゃんの知恵袋よりYahoo知恵袋」とはよくいったものだなとなかば呆れてしまいます。

もちろん世の中にはすばらしい知恵袋を持っているお年寄りの方がたくさんいることはわかっています。

エッセイは実用性がそれほど重視されていないぶん、描き手のキャラクターや人生経験をもとに、読者の人生の余白になにかしら彩りや潤いをもたらすエンターテイメントへ昇華されたものだと思うのです。

この本は「怒り」や「愚痴」がアレンジされずに作者の生々しい感情をそのままぶつけられているところがあるので、ストレートな物言いが目立ちます。

ひとつひとつのお話を読むたびに何とも言えない疲労感に襲われるのってある意味スゴイ。

佐藤愛子さんの本を読むのはこれが初めてだったのですが、もう手に取ることはないでしょう。


庶民的な話のはずなのになぜか共感できない

私としては少なくとも今の時期(2021年11月現在)に読む本ではないと断言できます。
パンデミックの打撃が少しづつ和らいできているものの、いまだ閉塞感が漂っているところへトドメを刺しにくるものがある。

帯のキャッチコピーや宣伝文とは裏腹に全編通してスカッとするような、笑い飛ばせるエピソードは少な目でほとんどが「お年寄りの愚痴や文句」の類です。

その愚痴や文句だって、専業作家の方ならではの視点や気づき、一般庶民でも共感できるようなものを書いてくれたら少しは楽しめるのですが、それがびっくりするくらい少な目。

「怒り」ポイントもちょっとズレているというか、時代にあわせて感覚をアップデートしていけばそれほど気にならないようなものばかり。

例として電気屋さんにテレビの修理を依頼したお話によく表れています。
カンタンに言うと、ある日テレビの映りが悪くなったから業者に修理に来てもらったら(本人にとっては)予想外の金額を請求された、という内容。
ちなみに請求金額8000円。

今どきだと電化製品の不具合は修理代が高くつくことがわかっているから、ネットを駆使したり説明書を読んでせっせと調べるんですけどね。
業者を呼んでムダにお金を払いたくないから自力でどうにか直そうとするのに。

それを面倒くさがってすっ飛ばしたんですね、佐藤先生は。昔の感覚で。
そりゃあ8000円取られますわな。
むしろリモコンチョコチョコが8000円で済んだのはラッキー以外の何ものでもない。

世の中には、便器の故障を直そうとして業者を呼んだら100万円以上ぼったくられたゲーム実況者もいるわけだし、それと比べたら軽傷の範囲でしょう。

「高くついたのが悔しいから、次からはどうにかして説明書読んだり調べたりして業者を呼ばなくても済むようにしてやる!」

といった具合で、ギリギリと青筋たてながら反省して締めくくってくれたら私も「わかる~面倒くさいけどやるしかないよね~」といった感じで心境を理解できたかもしれない。

電気つながりで、佐藤先生ご一家が別荘に出かけているあいだは自宅の電気は稼働していないはずなのに電気代が8000円もかかった、というエピソードもありました。

このお話、まったく共感できなかったので我にかえって自分の冷酷さに気づいたほどです。

いやぁ、そもそも佐藤先生のお宅ってどの程度なのでしょうね。
お手伝いさんがいるくらいだから相当広くて大きいことは想像できる。
ということは、電源を切るべきところをいくらか見落としていてもおかしくないよね。

これが「1LDKに住んでいて全部電源落としたはずなのに一か月で8000円も取られた」という話だったら(いささか同情気味にではあると思いますが)多少なりとも共感していたのではないかと。

私としては日々の生活の中で、相手のせいにばかりしていてもしょうがないのがわかっているから、自分なりにどうにかして「妥協ポイント」や「落としどころ」を見つけて前向きになろうとするんだけど、佐藤さんの文章からはそういったものがほとんどうかがえないから、どう受け止めたらいいのかよくわからないんですよね。

そういうわけなので(?)、よくわからないなりにこうしてブログで読書感想文として昇華することにしました。


回答者になりたがる佐藤愛子先生

子供が関わった特殊な事件には一生懸命寄り添ったり理不尽さに怒る姿勢を見せています。
このあたりは一般人の感覚とそこまで大きくズレてはいません。

ただ、言ってることはもっともだけど、あんまり「昔」と比較されてもなあ~と。

何かにつけて「昔はこうだった」という例を持ち出して「現代人」の不可思議なところを指摘する。

指摘するのは別にかまわないのですが、「どうすればよくなるか」といった考えにまでは到達していません。

だから終始「言いっ放し」なんですね。
素材を串刺しにしまくってさっさと帰る料理人みたいな。
煮ない焼かない揚げない食べさせない。

そのくせ、新聞のお悩みコーナーの相談者相手には(頼まれてもいないのに勝手に)回答して容赦なくずばずば切り捨てていくスタイルです。

大学生からのお悩み相談で「グループの中に何日も風呂に入っておらず、異臭を放つメンバーがいるからなんとかしたい」という内容に対し、佐藤さんは持ち前の舌鋒で突き刺すわけですが、あまりにも好き勝手に言うので思わず相談者に同情してしまいました。

新聞の回答者は相談者に「先生に間に入ってもらって穏便に話をつけましょう」ということを勧めていたのです。

私なんかは平和に物事を進められるのならそうするのがいいだろうと思うので、わりとまっとうだなと感じるのですが。

それに対して佐藤先生は「本人に直接言え。そうしないのは単なる怠けだ」というようなことを述べていました。

これ、彼らがグループで長期間活動することや頻繁に顔を合わせないといけないという状況をわかったうえで言っているのでしょうか。

だとしたら想像力をもう少し振り絞ってほしい。

先々のことを考えると直に注意することって、人によってはベストな選択とはいいがたい気がします。

ここで佐藤先生が角の立たない言い方を提案してくれたらこのエッセイも「なるほど」と思えたものを。
もちろんそれもありません。

まるごと言いっ放し。
川端康成の例を出していたけど、なんの役にも立たないね。
当人が将来大物かもしれないってことがわかったところで臭いが消えるわけでもなし。

なんでもかんでも直接言えばいいってものじゃないし、ヘタすりゃ逆恨みされてトラブルが起きるかもしれない。

実際、世間ではよくわからんことで恨まれて暴力事件が起きていたりするし、刀傷沙汰にならずともケンカに発展することは避けたいと思うのが普通でしょう。
学生生活では気まずさとギスギスした空気の中で勉強するってけっこう苦痛ですよ。

そしてなによりも、このお悩みに対して「よくもまあそこまでキレられるな」と疑問を持ってしまった。

回答者が提示していた解決策はわりとよくあるパターンだと思うんだけどね。
あいだに人を入れたほうがいくぶん無駄なぶつかり合いを減らせるケースもある。

ご本人は著書の中で「私はお悩み相談室の回答者には向いていないのよ」とたびたび言っていますが、どうみてもやりたがっていますよね。

本の中で二回くらい同じことを言ってたし。
90歳のチラチラアピール。
本気で興味がなかったら人の相談内容にいちいちツッコミ入れたりしないですよ。
それも多くの読者がいる連載の中で。

お悩み相談室の回答者をやりたがっているのかやりたくないのかはともかく、佐藤先生が「自虐風自慢」と「サバサバ女子」を心の中に抱えていることにはまちがいない。


老人版シンデレラストーリー

読書中は最初から最後まで一貫して刃物でできた森を素足で歩くような気分になったわけですが、個人的にもうちょい「可愛げ」があったらささくれ立った気持ちも収まったのになあと思います。

全体的に毒舌でずばずば言うだけ言って、終始「自分は悪くない」という感じを出しすぎなんですよね。
デパートのトイレの話も私は笑えませんでした。



それと、読書感想文とはかなりかけ離れた話になってしまいますが、個人的に気になった点をひとつ。

このエッセイを執筆するキッカケが佐藤さん自身、老人性の「うつ」になりかけていたところへ週刊誌の方が連載のお話を持ち込んできたことが発端なのだそうで。

これって相当ラッキーですよね。
仮に、世間では有名な作家の方だとしても。

一般人だったら「うつ」と戦わざるを得ない場合がほとんどでしょう。
解決策が向こうからホイホイやってきてくれる状況なんて滅多にない。

「うつ」が解消されておまけに莫大な印税も入ってくるって、老人版シンデレラストーリーじゃないですか。
作家業を引退なんかしないでずっと物書きしていたほうがいいってことを証明しましたね。

しかしながら本作は先生自身の性格はひねくれているのに文章にひねりがない。
むしろストレートだから、私としてはどこをどう面白がればいいのか困ってしまった。

なにが悲しくて笑いのない「キレ芸」を見せつけられなきゃならないのかと。

いちおう最後まで読み切ってから感想なりなんなり述べるのが筋だろうと思って、せっせとページをめくりましたが途中からはただの苦行でした。
ふつうに読めたのは出生届に関する話と飼い犬の話くらいでしょうか。

「九十歳。何がめでたい」というタイトルは「人の苦労も知らずに好き勝手を言うな」という、作者自身のメッセージも込められているのでしょうが、度を超えたツンデレはちょっとどうなのかなと。

せっかくのシンデレラストーリーを自らツンデレラストーリーにするとか意味が分かりませんよ。

いいじゃないですか、生きているだけで有難がられるんだから。

万々歳ですよ、人生。


おわりに


読み終わった瞬間は爽快感より疲労感のほうが勝ってしまいましたが、そんな中でも一つだけこの本から学べたことがあります。

それは、歳をとっても趣味や娯楽と上手に付き合える人間になろうということです。

エッセイの中には本人の趣味や娯楽に関するハッピーな話題がほとんど登場しません。
(お腹の弱い営業マンにスイカを無理矢理食べさせた話があったけどああいう親切の押し売りが趣味だったりするのかな)

佐藤先生が掲載誌から求められていたのが毒舌系とか世の中に物申す系のものだったのでしょうが、それにしても肌に合わなかった。

万象学でエネルギー値が平均より高くて、算命学で最身強の星を持っている人は「引退」なんて考えない方がいいんじゃないかな。

パワーが有り余ると火力がね、高まってしまうでしょう。
だからずっと何かに打ち込めるものを見つけるんです。
常に自分にとっての熱盛を作ってください。
あるいは、自分の知恵やパワーが求められる場所を探し続けましょう。
うん、そのほうが上手いこといろんなものごとが循環していくよ。



そんなこんなでいろいろと書きましたが、私としては、このままオタク道を突き進むほうがもしかしたら心身ともに健康で生きられるかもしれない、と思うわけです。

自分が生まれつき持っているキャパシティもエネルギーも限られているわけだし、できることなら歳をとっても学べる対象や、自分の世界で生きられる趣味などをもっていたほうがいいなということを再確認しました。

まあ、いくつになってもゲームやマンガにハマっている未来だけは予想がつきますね。
死ぬまでにFF4を何週できるか数え通すのも良さそうです。

怒ってばかりの晩年は人によっては楽しいのでしょうが、私はもう少し適度にのんきに能天気にいきたいと思う次第であります。



ここまでお読みいただき、ありがとうございました。