私に「絵のリハビリ」という言葉はもう不要になった話【絵描きの苦悩】

「お絵かきのリハビリです!」
という言葉について身に覚えのある絵描きの方は、今回のお話には共感できない部分がたくさんあるかもしれません。

結論をざっくりひとことで言うと、「”絵のリハビリ”という言葉に対するとらえ方が変わった」というだけのことです。

スタンス違いのひとを攻撃しようとか、これが絶対正しいとか、押しつける気はさらさらありません。

そのへんを踏まえつつ読んでいただけるとありがたいです。





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「絵のリハビリ」、もしくは「お絵かきのリハビリ」。

これは何を意味するかというと、「久しぶりに絵を描くので、まずは肩慣らしですよ」という表明です。言葉そのものは「造語」の類ですね。ネット内の絵描き界隈で、一度は見かけたことがあるのではないでしょうか。

「絵のリハビリ」って人によって感じ方もとらえ方も違うかもしれません。

ですが、どんな意味合いであっても、今の私にはこの言葉に引っ掛かりを覚えるのです。

かくいう私も昔はこの言葉を使っていました。

見ている人が少ない場所であっても、不特定多数の人たち、あるいはもう一人の自分に対して、保険をかけるように文章の端に添えていた。

おそらく、安心感を得たかったのだと思います。

絵を久しぶりに描いて、それが思ったより上手くいかなくて、落ちこんで。それでもネット上にいる誰かに見てもらいたいという思いを抱えていた。

そんなとき、丁度いい具合に感情と成果物のあいだでクッションの役目を果たしてくれたのが「絵のリハビリ」という言葉。

その時の自分にとってはまさに「お守り」のようなものでした。

月日が経過するにつれて、私は狂ったような勢いで絵の向上に努めるようになります。

クロッキーやらスケッチやら基礎練習だけではなく、自分が使っているソフトの効果的な使い方まで独学なりにイチから学びなおしました。

憧れているひとたちの姿勢を見て刺激を受け、自分ももっと画力を上げて自由自在に想像の世界を描いてみたい。そんな些細な野望が芽生えた。

心身を鍛えるために絵の練習だけではなく、30歳を過ぎてジョギングも習慣化させました。長時間の座り作業に耐えうる体をつくりあげて、少しでも絵と向き合えるように、できることはすべてやりました。

自分と画力を磨くにつれてかつての「お守り」に変化があらわれます。

ふと気が付くと、それはもう何の役にも立たない、ただの「プレッシャーマシーン」になっていました。

使えば使うほど、頼れば頼るほど、内側と外側の世界からプレッシャーが迫り、ついには自分自身を追いつめる凶器になる。

「絵のリハビリ」という例にあてはめると、今の私がこれを多用するとがんじがらめになって身動きが取れなくなってしまいます。

なぜなら、この言葉を使って「ひさしぶりに絵を描くから、今日は肩慣らしです!」という風な表明をすると、「あ、なるほど。じゃあ今日の絵は軽めのものなんだね。元の状態に戻った時の完成度はさぞかしスゴイんだろうね」となる可能性があるから。

こうなるとムダに肩に力が入ってしまったり、余計なことを考え出したり、きちんと完成できるか心配になったりと、雑念とプレッシャーが押し寄せてきて制作のジャマになるのです。モチベーションが下がる。

内側にいるもう一人の自分が圧倒的な期待をかけるのは確定済みだし、もしかしたら外側にいる他人にも期待感を持たせることがあるかもしれない。

もちろん、自分が注目されるほどの絵描きではないことは承知しています。自意識過剰かもしれません。それに、見る人はそこまで考えていないこともあります。

ただ、私にとって「絵のリハビリ」という言葉にはかつての安心感はないのです。

その言葉に寄りかかるくらいなら、いっそのこと何も言わず、何も考えずに描いてパッと投稿するほうが遥かに気がラク。

こういう思考になったのは、画力やら身体を鍛える過程で「別に、完璧な仕上がりじゃなくたっていいもんね」という謎の自信が備わったからかもしれません。

それに、もともと下手なもんはヘタだし、だったらヘタでも練習して絵の投稿を続けて、自分の向上心をくすぐる材料にしてやればいい。

「絵のリハビリです」は「真の実力を隠しています感」を表にむけて大々的に宣言しているようなもの。

なんだか、外からも内からも妙なプレッシャーがかけられませんか?

私は御免被るッ。のびのびと、自由に、絵が描きたいんだッ。
実力がどうのこうの関係なく楽しく描いて楽しく投稿するのがイチバン。

それにしてもよく考えたらおかしな話ですよね。
かつては投稿時の心理的なハードルを下げていたものが、今となっては全く役に立たないものになってしまい、完全に意味が変わったのですから。

しつこく繰り返しますが、これはあくまで私の個人的な考え方の変遷について具体的なエピソードとともに紹介しただけです。

「絵のリハビリ」は、各々の目的に応じて使いたければ使えばいい、それだけのこと。

昔の私みたいに、「お守り」がわりにすることで気分が軽くなる方もいるでしょうし、自分の絵が元のレベルに戻っていく過程を見てほしい人もいるでしょう。そのへんは自分なりに合った選択を取るのがベストだと思います。

言葉の断捨離って滅多にしないんだけど、記事にしていつでも見返しておけるようにしたかったのです。



未来の自分が読んでも共感できるように。




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「絵のリハビリ」でハードルを上げたくはないけど、何も言わずに投稿するのは憚られるんですが…と思われた方に朗報(?)。

「絵の練習」って言えばいいんですよ。

ただの練習だし、とくに格好つけることもなく使えます。シンプルだけど、かなり役に立つ。

海外のSNSでは「Daily sketch」というタイトルで投稿している方もいますし、気楽にやればいいと思います。

私がときどき、【お絵かき練習帳】と称した記事を投稿しているのはそういうことです。

まあ、アレに関しては個人的な研究目的もあるけど、練習している姿勢を見せたら、そのうち他の絵描きの方の心理的なハードルも下がるかな、と目論んでおります。



ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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今日の見出しboy。

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