記事には場の空気とか執筆者のエネルギーとかが含まれている

note内を散策していたときにいろいろ思うことがあったので書いていきます。

私はnoteを始めてあともう少しで4か月になるのだけれども、ここにはほんとうに様々な人間がいるんだなと実感する。

Twitterより長文が書けるぶん、その人の「本音」や「自分らしさ」が前面に押し出されているから自分がキャッチするものがより多くなっているのかもしれない。

んで、私はやっぱりというかなんというか…すごく人の「想念」とか「文面から発せられる雰囲気」みたいなものにものすごく敏感なんだなと。

私のネイタルに太陽と水星が12ハウスに入っているからなのか。

それに加えて水星と海王星がスクエアだから良い波動も悪い波動もビビっときてしまうからなのか。それはわからない。わからないけど確かに感じるものはある。

不思議でもなんでもない話としていちおう話しておくと、noteの記事ってアクセスした瞬間にどんな空気が流れているかがモロにわかるんだよね。

これってスキの数とかフォロワー数とかまったく関係ない。

まあ、こんなことを言っても分かる人にはわかるかもしれないが…わからない人にはまったくわからないと思う。

だからここから先は、ある程度自分の中にはカンのようなものがはっきりと存在しているなと確信できている人だけついてきておくんなまし。


noteの記事内の「空気」についてわかったことを書いておきます。


記事を読み始めた瞬間に、

1、記事内が明るいかどうか(PCの輝度のことじゃないヨ)

2、人の気配がするかどうか(コメント欄の人数のことじゃないヨ)

3、その人の持っているエネルギーが強めかどうか

4、(ごくたまに)記事特有の色彩が見えるかどうか

5、ポジティブな波動かネガティブな波動か

というものを察知できます。

4の色彩については頭の中にぼんやりと色が浮かんでくるような感じなので直接見えるわけではないです。

記事内の文章を読み進めていくうちに「あ、コレやばいな」というなにか、悪い予感めいた流れってあると思うんだけど、本気で引き返した方がいいときはすぐに逃げたほうがいいね。これは5のネガティブなケースに遭遇した時のことね。

思うに、「記事」の持つ力は「場」の空気に直結するのではないかなと。


ああ~、ここまで書いてきてまた人から理解されにくいことを言っている気がしてきた。
でも続けちゃうもんね!




私はスピリチュアルは好きだけど霊感はからっきしだし、幽霊も守護霊もオーラも見えません。見えていたら今頃ひともうk…いや?なんでもないですよ?

でも、30歳を超えたあたりからどうも様子がおかしい。

いままでうっすらと感じられる程度のものだった第六感のようなものが強くなってきたような気がしてならない。

普通、こういうのって子供の時期に強く出るって思うじゃない。

でも、私の場合は本当にごく最近、ここ数年の間に妙なアンテナというか、受信能力が高まってきているような経験が増えてきて、あれほど脳筋一択な生き方をしてきたのにこれはどういうことなんだと、戸惑いを隠せないのだ。

それはnoteを始めてからものすごい勢いで進化して磨き上げられてしまった。

意図せず水星と海王星の能力を使っているような感じがあります。

ちなみにnote内で件の意地悪なアンチコメントもらってから猛烈に「私は変わる!」という意思が生まれたからそれが関係しているのかもしれない。




まあ、それはさておき、記事が持つ空気とかパワーのお話に戻そう。

今日もたまたまその「記事」が持つパワーをダイレクトに感じることがあったのです。

その記事は最初の方こそ自分の芯をしっかり持ったある意味「個人的な哲学」をぶつけているような感じだったんだけど…読み進めていくうちに私の中で警鐘が鳴り始めてしまってね。

途中で切り上げればよかったんだけどさ~読んでしまったよ。すべて。

「自分の中の欲求の蓋がズレている状態で妬む」ことを「無意識レベルで言語化している」パターンが一番怖い気がする。

嫉妬の壺を誰もが持っているのなら、その壺の蓋のすきまからわずかに漏れ出ている「嫉妬」が最も残酷で警戒すべきなのだろうね。

蓋がきっちりしまっているか、あるいはいっそのこと解放して物質化、言語化、芸術化あたりで昇華してしまえばそれはもう嫉妬ではなくなるのでそっちのほうがまだイイ。

記事の場合は「一見すると」嫉妬が見えないから気づきにくいんだよね。こういう時は文面の温度や質感を脳内で一度補完したりして危険度を量るといいのかな。

全ての記事をカン頼りで判断すると、いい情報も見逃してしまいそうだからカンタンに片づけられるものでもない。

ただ、今日の気づきとしてこれだけは言える。



「その人の本性は他人の記事にどのようなコメントを残しているかでわかる」



執筆している記事よりも本人のことが的確にわかるかもしれないね。
内の顔と外の顔を使い分けている人もいるからね。

TwitterとかYouTubeだけじゃなくて、匿名掲示板でも通じる話だと思う。

ネット内で活動するとなるとどうしても顔が見えない分、想像力が大事になってくるけど、自分の痛みも人の痛みもわからない人間にはなりたくない。

そうは言ってももしかしたら、意図せず私も誰かを傷つけているのかもしれないけどね…。

こればっかりは甘えとかじゃなくて、全力で気を配っても回避しようがないから。

でもこういうことを頭の片隅にいれておいて、いつでも取り出せる人と、そうでない人でこれからのネット社会を生き抜く力に差がでるとみているんだけど、どうかな。

もし、私の記事でなにかダメージを負うようなことがあったら遠慮なくフォローを切ってほしい。

なにか言いたいことがあるなら直接コメントするより自分で思っていることを記事にすることをオススメするよ。なぜなら理解者があらわれるかもしれないから。

直接文句言うとね、結局のところ書いた人間は損するんだよ。

その場では本人に言いたいこと言えてスッキリするかもしれないけどさ、一瞬だけだよ、その快楽は。

だって、私も他人の記事のコメント欄見てヘンなコメントしている人を見かけたらすごくイヤな気分になるもん。Twitterのリプライ欄もそう。

自分が思った以上に多くの人に読まれているんだよ、そのコメントは。

見られることも快楽だと感じているのなら…手に負えないね。

コメント欄を管理しなくちゃいけないのはツライところではあるけれど、発信側になることで磨かれるものもあるからコツコツがんばりましょう。

てか、コメントに吹き矢みたいな仕組みがあるといいよね~。

応援したい人の記事に心無いコメントがついているのを見つけたらそれ書いたユーザーを消せる機能。

吹き矢の数に応じてコメントの文字が一文字ずつ消えていくっていう仕様ね。

文字が小さくなる仕様のものは見たことあるけど文字が徐々に消えていく機能は見たことないからこれnoteに採用してくれないかな。






それにしても短気は損気とはよく言ったもんだ。

そして呑気は元気(今作った)。

もっと、木星に後押しされるような生き方を目指そうぜ。



というわけで記事には場の空気とか執筆者の感情やエネルギーが含まれているから、他人の想念を受け取りやすい人は注意してね。





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